甦る古代のロマン、その名は『朝日遺跡』

唐突ですが、皆さんは『朝日遺跡』という遺跡をご存知でしょうか?
縄文時代から弥生時代を中心に古墳時代まで存在した大規模環濠集落の遺跡で、重要文化財級の土器や石器が数多く出土し、当時希少な青銅器やアクセサリーの工房跡も発見された、当にテクノロジーとファッションの一大拠点「弥生時代のニューヨーク(?)」が朝日遺跡なのです。

吉野ケ里遺跡注:この写真は吉野ケ里遺跡です。

この古代の歴史を紐解くための最重要遺跡、朝日遺跡は一体どこにあるのしょう?それは、愛知県清須市(と名古屋市西区近辺)。
管理課Fが住んでいる清須市(名古屋市の西隣)に、この遺跡は存在したのです!

同じく清須市にある清州城を訪れた時のブログはこちら

今回は「管理課Fの遺跡探訪」の第1弾として、この地元の朝日遺跡を探訪していきたいと思います。

朝日遺跡は、1972年に名古屋環状2号線(国道302号)や清洲ジャンクションが建設される際に発掘調査が本格的に実施されて、数多くの出土品や遺構が発見されました。

はい、その弥生集落を現代に語り継ぐのは、2020年設立の「あいち朝日遺跡ミュージアム」。意外に新しいです。
あいち朝日遺跡ミュージアム

入館受付をして、最初の展示はジオラマとアニメーションで朝日遺跡を分かりやすく解説している基本展示室1。朝日遺跡がいかに広大な集落であったかが一目瞭然です。
ここで驚かされるのは、先端を尖らせた木を組み合わせた柵などの防護設備が集落の各所に存在したことです。
弥生時代の集落というと牧歌的なイメージがあったのですが、この時代でも血で血を洗う戦いがあったんだなと認識を新たにしました。
集落のイメージ

基本展示室2には、出土した数多くの土器、石器が展示されています。土器や石器の他に、この集落で作られた銅鐸も展示されており、当時の先端技術である青銅を鋳造する技術がこの集落に伝わっていたことを意味しています。

また、翡翠の勾玉やガラス小玉のネックレスといった、弥生女子垂涎のアクセも工房と一緒に発掘されていて、イケ集(イケてる集落の略)ぶりがうかがえます。勾玉等の展示

他にも、弥生人の生活やコスプレが体験できる「キッズ考古ラボ」などの施設があり、楽しみながら弥生時代を学ぶことができます。
ミュージアムの横には、この季節は芝生が気持ち良い広場があり、竪穴式住居や高床倉庫、古墳などが復元された「体験弥生ムラ」と、本物の貝塚などの弥生時代の遺構が公開されています。竪穴式住居イメージ注:竪穴式住居などが復元されています

さらにその奥には「史跡貝殻山貝塚交流館」があり、地味めな建物の中に、埋葬された本物の弥生人の骨が展示されていて、ちょっとホラーな雰囲気も味わうことができます。本物の弥生人の骨注:自主規制

このように歴史的に大変貴重な遺跡なのに、吉野ケ里遺跡などに比べて地名度が低いのは何故でしょう?(受付にありがちな有名人のサイン色紙も、名古屋のFMラジオパーソナリティーの1枚のみ)
恐らく、有名な遺跡と異なり、遺跡が保存されなかったからだと思われます。
先に書いたように、朝日遺跡は高度経済成長期の道路開発の時に発見されました。
そのため、遺跡保存より道路建設による経済効果の方を優先したのかもしれません。(ルート変更をするための諸々のコストも鑑みてというのもあるでしょう)
だから、敢えて知られないようにしているのかも…。

まだ、私たちの足元には歴史の定説を覆すような遺物が眠っているかもしれません。
それらが発見されることを願わずにはいられません。

そんなことを考えながらミュージアムを後にして、ふと道路脇の草むらに視線を投げると、何と!謎の土器があるではありませんか!!

「朝日遺跡に四足付土器が!?これが本物だったら、大発見ですぞ!!」
高鳴る鼓動(土器だけに)を抑えつつ、恐る恐るその土器に触れてみると…土器…?土器ではなく、プラスチックの植木鉢でした。「弥生時代のニューヨーク」でも流石にプラスチックは作れないですね。

実は信長で有名な清州城跡も新幹線の線路で分断されている、歴史と大人の事情が学べる町、清須市。
その清須市は今年、市制20周年を迎えました。
弥生時代から戦国時代そして、現代まで刻まれてきたこの町の歴史(ロマン)。新しいこの町の、先人たちに負けないようなロマンを刻んでいくのは、私たちなのです。

管理課Fの歴史探訪、楽しんでいただけましたか? それでは、ごきげんよう。

 

トップへ戻る