謎だらけの密蔵院・多宝塔、今回はお約束どおりその謎を解明します。
※密蔵院・多宝塔 (その1)は2/3日のブログです。
密蔵院は、慈妙上人(じみょうしょうにん)によって開山され、鎌倉時代の1328年(嘉暦3)に完成しました。
多宝塔は室町時代(1338~1573)の初めに建てられ、最盛期には境内に36の建物が建ち並び、修行僧が3,000人もいたといいます。
かつてこの寺は、尾張地方における天台宗の本山であり尾張・美濃を中心に全国11の国に700以上の末寺を有していたそうです
今では、静かな民家の中にポツンとたたずむ多宝塔ですが、室町時代にはさぞかし荘厳な雰囲気だったんでしょうね。
このように立派な多宝塔が建立されても不思議ではありません。
天台宗の総本山である比叡山延暦寺は、室町時代になると武装化を強め、独立国家のようになり強大な権力と武力と資金を抱えるようになりました。
戦国時代には織田信長に対して徹底抗戦の姿勢を見せるようになり、山にこもった僧兵4千人に何度となく武装解除するように通達するもまったく聞き入れず、ついには焼き討ちという事態にまで発展してしまいました。
この信長と延暦寺との対立が全国の天台宗に与えた影響は大きく、これをきっかけに密蔵院初め、多くの天台宗の寺は衰退していくことになりました。たくさんあったこの地方の天台宗の寺も、現在は竜泉寺と守山区瀬古東の石山寺しか残っていないそうです。
なるほど、これで静かに侘びしくたたずむように見えた多宝塔の謎がわかりました。
こんな隠れた場所が、かつては尾張地方における天台宗の本山であったとは ロマンですね。
知る人ぞ知る天台密教の里、まさに密蔵院の名称にふさわしいお寺だと思いました。
次回は、まだ解明していない謎を解き明かします。