時代別の夏の涼み方

今年も早いもので1年の半分が終わり、7月に入ります。
7月はまだ梅雨も明けず蒸し暑い日が続き、一年で最も過ごしにくい時期かもしれません。ただ、梅雨明けの『すがすがしさ』を味わえるのもこの月なのです。終わり良ければ全て良し、だからあまり悪いイメージがないのは私だけでしょうか?子供の頃の夏休みが始まる月のイメージ、あるいは七夕祭りがあるから・・・、ラッキー7で縁起のいい数字だから・・・?
でもこの蒸し暑い時期、快適なクーラーも快感の無い、そして涼しげに窓辺を飾るレースカーテンブラインドも無い時代、人々はどのように暑さをしのいでいたのでしょうか?
各時代別の夏の涼み方を調べてみました。
平安時代の夏 794年~1185年頃
平安時代の権力者の住まいは、寝殿造りのため開放的であったのに対して、一般庶民の住まいは閉鎖的で、夏の厚さの中で暮らしていました。
今の私達の生活の中でも馴染み深い「い草」が登場したのは平安時代のことで、室町時代に部屋全体に敷かれるようになりました。
夏の氷は庶民の手に届くものではありませんでしたが、平安時代の貴族は、「氷室」と呼ばれる保冷庫に保存した氷でカキ氷を作ったり、夕涼みで虫の声を鑑賞し涼をとるという文化もこの頃からはじまります。
また、扇子の誕生も平安時代初期です。数枚の木簡を持ち歩くために片端を綴じて使用したのがその始まりです。当時は主に男性が公の場で使っていましたが、後に絵が描かれるようになり、装飾品として女性が好んで使うようになりました。
江戸時代の夏 1603年~1867年
この時代の家々は、密閉性が低いので隙間風が入り、部屋を閉め切っていても、多少は外気を取り込むことができました。
それでも暑さをしのぐポピュラーなものといえば、「団扇(うちわ)」があります。1つ15文前後、現在の300円程度のものだったようです。
また、江戸時代にも現在の清涼飲料水のようなものがありました。その名もズバリ「冷水(ひやみず)」。砂糖水にお餅が入ったようなものです。まだまだこの時代には氷は高級品で、庶民には手が届きませんでした。
窓辺の”涼”を演出するものとして、「すだれ」と「風鈴」があげられます。
すだれは御簾(みす)とも呼ばれ、古くから室内のしきりや日よけに使用され、平安時代には宮中の調度品として必要なものでした。
一般の武家や商家で使われるようになったのは江戸時代以降のことで、以来茶道・舞踊などの日本文化の場や様々な日常生活シーンに、粋で機能的な室内装飾品として活用されています。
風鈴の起源は中国で、平安・鎌倉時代の貴族の間では縁側に下げて魔よけに使われていたようです。江戸時代末期になり、ようやくガラスの風鈴が普及するようになりました。透明なガラスの輝きや、自然の風による心地よい音色に庶民は心を奪われていったのです。
この時代の物売りには珍しく、”風鈴売り”は、そよ風を受けて軽やかな音を響かせるので、終始売り声をあげることがなかったと言われています。
昭和初期の夏 昭和20年代~30年代
某映画が大ヒットし、今また密かなブームとなっている「昭和」。昭和初期は「モノ」が増え、急激に豊かになった時代です。それまでは「涼む」程度だった夏の過ごし方も昭和30年代には電気冷蔵庫、電気扇風機といった「冷やす」道具が庶民の間に広がり、人々の暮らしは急激に変化しました。
また、現代の窓装飾の主流となっているカーテンが登場したのは明治末期のことです。綿・毛・絹・麻などが用いられ国内で生産され始めました。大正期、特に関東大震災後は建築の近代化や洋風化が進み、カーテンも増えてはきたもののまだ一部の上流階級のものでした。
一般住宅に本格的にカーテンが普及し始めたのは昭和30年代です。その後10年ほどで、遮光・遮熱・防音などの諸機能を持つカーテンが登場し、昭和48年の第一次オイルショックを境に、省エネに対する関心が一般の人々にも広まり、カーテンは家庭
の必需品として定着しました。
現代の夏 平成
現代の夏を乗り切るのに必要不可欠なものと言えばやはりクーラーでしょう。
昨今は省エネ対策としてクールビズが流行し、クーラーの設定温度を高めに保つのと同時に、ノーネクタイを中心とした新しいファッションも注目されています。
クーラーの効率の良い使い方としては、窓や換気口を閉めることによって気密性を高め温度の上昇を防ぐ方法もあります。換気をしたい場合には、ブラインドやすだれをうまく活用したり、中を見えにくくする方法としてロールスクリーンやプライバシーレースなど、更にお薦めは遮熱レースもあります。
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